インタビュー
2012.12.12
人との出会いが僕らを変えてきた。ムイットボン!変化の軌跡。
「ムイットボン!」は、武蔵野美術大学出身アーティストの上田尚矢さんが、福祉作業所(※地域活動支援センター精神障害者地域作業所型のこと。)から障害者向けの物作りワークショップを依頼されたことをきっかけに始めた活動で、2013年1月にNPO法人化した団体です。日々の出会いやチャンスを逃さず、活動を進化・深化させ続けていくムイットボン!さんに、活動を始めたきっかけやこれまでの歩みについてお話をお伺いしました。【ムイットボン!上田尚矢氏】
―ムイットボン!の現在の活動とそれを始めた背景について詳しく教えていただけますか?
僕らの収益事業は大きく2つ柱があって、1つは「地域の福祉作業所のエンパワメント」もう1つは、障害を持った人達に、ムイットボン!がデザインしたプロダクトを作ってもらって販売する物販の事業です。前者の「地域の福祉作業所のエンパワメント」の方は、複数回のワークショップを通じて、福祉作業所の職員自らが「売れる商品を企画し、販売する力を身に着けること」を応援する内容になっています。なぜ僕らがこんなことを始めたかというと、福祉作業所を取り巻く環境が大きく変化してきているからです。もともと、障害を持った人の居場所であり生活支援の場としてスタートした福祉作業所ですが、現在では福祉作業所に求められる性質も大きく変わり、福祉の現場に「経営」が求められるようになってきた。その急激な変化に対応がしきれていない現場では、売れない商品を作り続けて在庫をむやみに増やしてしまったり、企業からの請負仕事の納期に追われ職員の方が夜なべをしてなんとか間に合わせる、といった状況があります。その現実を知り、何か僕らにできることはないかと考え始めたのが去年。縁あって横浜市中区の障害者団体連絡会と一緒に連続ワークショップを企画し始めました。障害をもった方たちに、指編みやバッグ作りをレクチャーしたり、作業所で働く職員の皆さんに自分達らしい自主製品を企画し、販売計画を立てるワークショップを提供したり、いろいろな取り組みをしてきました。その中で、職員さん達にも通所者の才能や能力を再発見してもらうきっかけを提供することができたし、何より職員さん達同志の横のつながりが生まれて楽しそうにワークショップに参加してもらえたことが良かったと思っています。
物販の方の事業については、当初は3障害(身体・知的・精神)すべての人を対象にしていましたが、動いていく中で、精神障害をもった方との相性がいいことに気づきました。色のセンスが素晴らしいし、工賃を増やす事に意欲を持っている女性の精神障害者の患者の方は、ものすごくいい仕事をしてくれているんです。同じ2時間をかけても福祉作業所でオリジナルで作っていたものはバザーで数十円にしかならなかったりする。でも「デザイン」という付加価値が加わるだけで、数倍、数十倍の単価で販売できたりするんです。すると高い工賃を支払うことができます。商品の魅力や価値で単価を引き上げることができる、ということを福祉作業所の経営に携わる皆さんにも実感していただけているのではないかと思っています。
また販路については、大手デパートやセレクトショップ等においてもらっているので、作り手やサポートする職員の皆さんにとっても励みになっているようです。今後はもっと販路開拓するべく営業を積極的にしていきたいと思っています。僕らが営業で取り組んだり失敗したりすることが、そのまま福祉作業所の職員の方向けのワークショップのコンテンツになると思うんです。

写真は商品の一例
―去年、ETIC.が横浜市経済局と一緒に取り組んでいた、「Yokohama Changemaker’s CAMP」のリサーチコースにご応募頂いたわけですが、どんなことを期待して、プログラムに参加して頂いたのですか?
僕らが関西の起業家支援団体であるNPO法人edgeさんのプログラムに参加している中で、ETIC.さんとは知り合いました。僕らもちょうど、横浜市中区と活動をスタートさせようとしていたところだったので、横浜をフィールドにETIC.さんが活動していると聞いて興味を持ちました。そうしたら、ちょうど「Yokohama Changemaker’s CAMP」というプログラムの応募を募っているところだと聞いて、目の前に人参をぶら下げられたらかぶりつく、というのが僕らなので、早速応募させてもらいました。リサーチコースというのは、ボランティアで起業家のブレインとなってくれる「プロボノ」さん達とチームを組んで、事業のリサーチを3か月一緒に行っていくプログラムでした。横浜市の職員の方と民間の社会人の方との混合チームと聞いていたので、とにかく仲間がほしい、一緒に考えてくれる人がほしいという一心で応募しましたね。
―そうしてご参画頂いた「Yokohama Changemaker’s CAMP」のリサーチコースですが、上田さん達の活動にとってどのようなメリットがあったでしょうか?
今振り返るといろいろなことがありましたね。当初は、人件費という概念すらなかったですから。もともと芸大出身で、作品を発表してきていたわけですが、作品を創るのに「人件費」という概念は必要ないんですね。でもムイットボン!の活動をしていく上では考えていかなければならない。そんな状態からのスタートだったので、いろいろ発見がありました。
例えば、僕が福祉作業所の施設長や働く職員さんから聞いた情報をプロボノさん達に話していたら、それを彼らは絵や図にまとめて整理してくれた。ある時、プロボノメンバーの1人から「ムイットボン!を外に向けて説明するわかりやすい文書を作ろう」という提案があったんですね。僕は当初当たり前のことしか書いていない資料だと思っていましたけど、プロボノメンバーと一緒に作り上げた資料を使って人に伝えていったら、次の仕事につながった、ということがあったんです。僕らがいくらたくさん口頭で伝えても伝わりきらなかったことが、一瞬で資料を通じて共有され、トントン拍子に物事が進んだんです。外向けにわかりやすく情報を整理して発信していくことの重要性に、気づかされた瞬間でしたね。
あとは、日々現場に忙殺されていてなかなか長期的な計画を立てるタイミングが持てずにいたんですが、CAMPで「改めてムイットボン!はどういう方向にむかっていきたいのか?ムイットボン!は結局なにをする団体なのか?」ということが、プロボノさん達と話す度に整理されていきましたね。全部でプロボノさん達と集まったミーティングは8~9回だったと思うのですが、その度に考えが深まっていくのを実感しました。現場である福祉作業所に一緒にインタビューに同行してくれたプロボノさんもいました、すると僕らが引き出せない話をしてくれたりするんです。一緒に考えてくれる仲間がいて定期的に彼らと会っているから、それがいいリズムになって、ムイットボン!の進むべき方向性が少しずつクリアになっていた気がします。
―ムイットボン!さんは、現在、東京都内と横浜両方で活動されていますが、横浜というフィールドについて感じていらっしゃるところはありますか?
そうですね、すごく人がいい意味でおせっかいというか、世話好きなところがあるかもしれません。自宅兼アトリエを探している、と言っていたら、福祉作業所の職員さんが「空いている家があるから貸してあげる」って。それで、横浜に越してきたんです。なかなか東京ではそこまで親身になってくれる人は少ない。いい意味で距離が近いというか行政もコンパクトですし、地縁が強いというか。人をたくさん紹介してもらえたりしますね。あと港町で比較的、夏涼しく、冬温かい等の気候がよいところも気に入ってます。
―最後に、これからETIC.横浜ブランチの活動に期待してくださっていることがあれば教えてください。
ぼくら起業家のかゆいところに手の届くプログラムを提供してくれていると思います。思えばNPO法人ムイットボン!の理事のうち2名はETIC.さん絡みでの出会いでしたね。1人は、去年の「YOKOHAMA SOUP」というイベントで出会った人で、彼とは江戸川区のお仕事を一緒に進めさせてもらっています。もう1人は、プロボノとして参加してくれた人、もはや彼は同志で飲み友ですね。僕らは、そんな恩恵を余すところなく食い散らかしているというか・・・。CAMPは今振り返ると、上田の「成長物語」そのものでしたが、果たしてそれでよかったのか?等と思うこともあります(笑)。
これからもワークショップとかCAMPとかどんどん場作りを続けていってほしいですね。少ないスタッフ陣営で活動を支えているのは大変そうなので僕らが次の世代の起業家に貢献できることをも探していきたいです。
―変化に柔軟で新しいものを取り込もうとするエネルギーに満ちた上田さん達だからこし、ここまでの変化があったのだと思います。活動の幅をどんどん広げていかれるムイットボン!さんの活動に私達も目が離せません。上田さん、今日はありがとうございました。