ETIC.横浜

インタビュー

2012.12.14

社会実験の繰り返しが、新たなビジネスチャンスの源になる。

株式会社大川印刷は明治14年に横浜で創業した老舗の印刷会社さんです。創業当時、輸入医薬品のラベル印刷を手掛け始めたのを端緒に、現在でも医薬品業界を中心に様々な業界とお取引があり、その歴史は脈々と受け継がれてきています。6代目の経営者、大川哲郎氏は就任当初より「ソーシャルプリンティングカンパニー」というビジョンを掲げて、他の印刷会社とは異なった戦略で会社をけん引してこられました。そんな大川社長のもと、「本業である印刷業を通じて、地域の課題解決を担っていく」、というビジョンに共感した多くの大学生達が、インターンシップ生として受け入れていただき様々なチャンスを与えられて大きく成長してきています。(※地域未来創造型インターンシップのWEBはこちら。)今回は、大川社長に「ソーシャルプリンティングカンパニー」というビジョンを掲げられるに至った背景と、インターン生とのこれまで数々の取組ついてお話をお伺いしました。【株式会社大川印刷/大川哲郎さん】

―はじめに、「ソーシャルプリンティングカンパニー」というビジョンを掲げられるに至った背景について教えていただけますか?

話は大学時代にさかのぼるのですが、私が19歳の時に、父親が急逝しました。あまりに突然のこと過ぎてショックも大きかったですし、当時は「医療ミス」がまだそんなに話題にされている以前のことでしたが、「医者に父親を殺された」という想いがありましたね。そんな混乱の中、専業主婦だった母が5代目の経営者に就任することになり、1993年に同業の印刷会社での修行を経て、私も入社をすることになりました。当時、私は横浜青年会議所の活動にも力を注いでおり、その活動の一環で「社会起業家」という人達の活動を知ることになりました。青年会議所は「まちづくり」を担いたい、という志を持ったメンバーで構成される経済団体ですから、「社会起業家」達の活動にも親和性を感じ、委員会を設置して調査研究をしていくことになったんですね。その調査の中で、フェアトレードコーヒーの活動をしていた藤岡亜美さんや、よさこいソーランで町おこしを担っていた長谷川岳さんといった方の活動を知りました。そんな活動の中で、私が大きく影響を受けたのは、ユニバーサルデザインの思想のもと、服飾デザインを手掛けていた元女優の井崎孝映さんの「洋服を通じて社会を変えたい」「障がいを持っている人でも着やすくファッショナブルな服を作りたい」という言葉でした。井崎さんが洋服だとするならば、私達にとっては「印刷を通じて社会を変える」ことができるのではないか。だとすればどんなことができるのか、とわくわく考えるようになりました。2004年に私が社長に就任することになり、改めて「ソーシャルプリンティングカンパニー」というビジョンを掲げました。もちろん、もっと早い段階から、環境問題への配慮(石油系溶剤0%のノンVOCインキ、適切な資源管理の元伐採された木材由来の紙などの導入)は進めてきていましたが、このビジョンを掲げることによって、より積極的な「地域へのお役立ち」の方向性を模索するようになりました。

―日本で「社会起業家」の活動が注目されるよりもかなり早い段階で情報収集をされていらっしゃったんですね。私達ETIC.との出会いはどのようなものだったでしょうか。

2002年か2003年の「STYLE」という、社会起業家のビジネスプランコンペが、ETIC.さんとの一番最初の接点でしたね。インターンシップの取組のことも当初から知ってはいましたが、我が社では無理だろうと思っていました。当時は社長就任前であり、「インターン生を受け入れたところで指導できる人材や余裕がない」という状況でした。新入社員の受け入れに対しても消極的でしたね。2009年頃より、ETIC.さんが横浜での活動を本格的に始めたのを契機に、1期生を受け入れることになりました。最初はやはり、インターンシップ生を受け入れる意味を従業員さんにわかってもらうことが難しく、「社長の道楽」と思われていた部分もあったようです。2期生は、女子学生2名だったのですが社内報「CSRの和」の発行を始めたり、食材ピクトグラム(リンク)の取組が始まったり、と大きな成果を残してくれました。中でも強烈だったのが、一人の女子学生が「大人ってもっとかっこいいものだと思っていた」と発言したことです。従業員さんの不平不満や仕事への愚痴を耳にして素朴に発してくれた言葉だと思いますが、社員達にとっても自分達を省みるきっかけになったようです。その後もたくさんのインターンシップ生を受け入れてきました。各々の問題意識で、社内業務改善や「ひとまち百景」のプロジェクト、廃棄物を活かした印刷物、見易さやユニバーサルデザインに配慮した印刷物など、様々な「課題解決ビジネス」を試行錯誤して立ち上げていってくれています。そのこと自体が社内にも活力を与えてくれていますし、卒業して社会人になっても顔を見せてくれるメンバーや、メールをくれるメンバーがいるのは嬉しいですね。

―貴社が積極的にインターンシップ生を受け入れるねらいや、大学生への期待はどういったことなのでしょうか?

3つの目的でインターンシップ生を受け入れています。一つは、20代の空洞化が進む我が社にあってインターンシップ生を受け入れることで社内を活性化すること、もう一つは「人財育成力」を高めることです。少しずつインターンシップ生に接することで従業員の皆さんの「人財育成力」が高まってきているのを感じます。また3つ目は、「新しいプロジェクトの立ち上げ」です。今の時代、印刷業界全体が、業態変革の必然に迫られていると思っています。そんな中にあって、様々な地域課題・社会課題に着目してそれをビジネスにできないか試行錯誤、社会実験のような取組を行う中で、新しいチャンスや潜在的なビジネスの可能性が見えてくるのです。そしてそのプロセスや成果を外部に向けて発信していくことで、また多くの方に我が社のことを知っていただくことができます。インターン生が手掛けたことが結果としてビジネスの実を結ばなかったとしても、そのプロセスの中で得られるものが大変大きいということです。

―最近は、横浜の地域社会に深く入り込んでいかれるようなプロジェクトも手掛けていらっしゃいますね。

そうですね。5代目インターン生の矢萩祥恵さんと取り組んだ「横浜ひとまち百景」のプロジェクトでは手ごたえを感じました。元々湯島本郷エリアから始まった「イラストを活用したまちづくり」の取組なのですが、全国の印刷会社の有志が集まって「一般社団法人マーチング委員会」を組織して全国各地で取組が進められています。私達は横浜事務局として、観光地横浜だけではなく、何気ない商店街や街角の風景などを地元市民目線でイラストにしたものを、名刺やカレンダーといった印刷物で提供しています。この取組によってこれまでお取引のなかった商店街の皆さんや、個人商店の方からもお声掛けを頂くことが増えてきました。横浜という町は、柔軟に新しいものを受け入れたり、変化に敏感な町ですよね。横浜から地域社会を変えていくチャレンジがこれからもたくさん起きていけば、と思っています。

―大川社長はじめ、社員の皆様が厳しくも温かいまなざしを注ぎ、本気で接してくださっているからこそ、卒業したインターン生たちは社会人になってもたくましく活躍している人たちが多いように思います。大川社長、本日はお忙しい中、ありがとうございました。